オリジナル小説です。
興味のある方のみどうぞ。 さて、2分ほど歩を進めたところで、正面に小さな社が見えてきた。 特に気の利いた装飾も何もない、鳥小屋のような社である。 「さ、着いたよ……じゃなかった。あぁ、水霊さま。蒼水れい、蒼水れいでございます」 ぺこりと余所余所しく蒼水れいが頭を下げる。風切あやかはそれを見てはっとした。 どうやら本当にあの小さな鳥小屋が水霊さまの八代であるらしい…… それを察すると、風切あやかも小さくではあるが頭を下げた。 次いで川岸みなもも頭を下げた。 するとである。 「きたか。今回の話はその女、川岸みなものこと」 何処からともなく声が響いた。洞窟の反響により高くとも低いとも言えぬ不気味な声だ。 風切あやかは、そのままの立ち位置で、右へ左へと目配せをしてみたが、 どうにも声の主を見つけることはできなかった。 ただ、何者かの気配だけが声と共に四方八方から発せられているのだ。 不気味な声は続く……。 「川岸みなもを水の精とする準備がある。受けるか否かはおまえ次第。受けなければ浪霊となる。人間でも山の者でもない。浪霊となれば、いずれ精神は消え、山を汚す亡霊と化す」 その声はまるで滝のようだった。いくつもの轟音が反響して力のある声となっている。 だから、この声に名指しされている川岸みなもは堪ったものではなく、 (……どきり) と、心臓を掴まれているような威圧感を感じていた。 「あわわ、えらいこっちゃ!」 「わっ、わたしはどうしたら良いのでしょうか?」 蒼水れいと川岸みなもは慌てふためいている。風切あやかはというと、 (私にとってはどうでも良いな。まぁ、浪霊となったら全力で消し去ってやるかな) などと平静に考えていた。 さて、水霊さまの声はなおも響く…… 「準備とは人間を殺すこと。丁度、人間が山へ入ろうとしている。川岸みなも、これをお前が殺せ」 「わ、わたしが人間を……?」 元は人間であった川岸みなもだが今はもう人間ではないし、人間だったときの記憶もない。従って、人間へかける情けは持ち合わせていないといえる。 だから別に、「人間を殺せ」と言われてもそれは、 「蟻や羽虫を何気なく潰すこと」 と変わらないのである。 そうでありながら、川岸みなもはそれを飲み込めずにいた。 (わ、わたしが人間を……) 何やら黒いもやが胸の中に広がっている。何とも嫌な心地が全身へ麻痺毒のように回っている。 川岸みなもは動けずに居た。 隣に居る蒼水れいなどはこうだ。 (あ、なんだ。そんなことか。案外ちょろいものだね) ほう、と胸を撫で下ろし生きた心地を味わっている。 そして風切あやかはというと、 (ふん。人間を殺すのは私の仕事だというのに……) という不満顔である。しかし、そんな顔もすぐに変わった。 あの声が響いたのである。 「申し訳ない。護山家。本来はあなたの役目であった。だが、我慢して欲しい。我が同胞となる川岸みなもの為」 先程までと変わらぬ調子の声であったが、言葉を向けられた風切あやかにとっては感じるものが全く違う。それは、 「刀を喉笛に突きつけられているような……」 感じであったのだ。 狼の赤く鋭い眼差しに射抜かれるような感覚がある。ぞくりとした寒気が全身を駆け抜ける。 気付けば、風切あやかは小さく構えをとっていた。そして頷いていたのだ。 「話は終わった。行きなさい」 その声が消えると、全ての気配が消え去った。 あれだけあった威圧感も激しい寒気もまるで、 「何事もなかったように……」 全身から消えていたのである。 「さあ、行こうかね」 蒼水れいが歩き出した。 どうやら一刻も早くこの場から去りたいらしい。 「ああっ、待ってください。れいさま」 次いで川岸みなもが蒼水れいの後を追った。 小走りではあるのだが、その胸はまるで全力で走っているように高鳴っている。 (わたしが……人間を……) 心のどこかでそれを嫌に思っているのかも分からない。 ただ、思うことは一つだけ、 (でも、わたしがわたしである為には……やらなくちゃいけない) なのであった。 風切あやかは、ただ鳥小屋のような水霊さまの社を見つめていた。 やがて蒼水れいが自分を呼ぶまでの間のことだった。
by metal-animal
| 2010-05-19 18:05
| カゼキリ風来帖
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